ASATONのドキドキのシベリア鉄道体験記NO.6
「さあ、シベリア鉄道にのりこむぞ(第一日目)」

いよいよシベリア鉄道に乗りこむ時がやってきました。ここでちょっと 事前の準備について。
 
まずは 飲み物。ミネラルウオーター、紅茶のテイーバック、コーヒー、そしてマグカップもクッキーやチョコといったお菓子、カップラーメン(食費がうくし非常食として)

生活用品として
トイレットペーパーは一人1個づつ(列車のトイレには備え付けていない)便座ふき、ウエットッティッシュ、あかちゃんのおしりふき(あるとトイレの後気持ちがいい)スリッパ、それと箸もしくはスプーンかフオーク、紙皿(あると便利)といったところでしょうか。

あとお金について。
ロシアルーブルはロシアでしか両替できないので、入国後にしか入手できません。ロシアでは アメリカ$がとても強いので、手持ちの金は$に換えておきましょう。日本円やイギリスポンドだと両替できないでしょう。ユーロはちょっと 浸透してきているようです。ロシアは旅行者の所持金に関してとてもうるさいので、税関の書類には所持金を正確に記入しましょう。あと、ルーブルの国外持ち出しも禁止されています。最悪捕まってしまう事もあるそうですから。

それでは お待たせいたしました。ここから シベリア鉄道の旅が始まります。目の前に ロシアの大地を思い浮かべながら読んでみてください。


第一日目(2002年7月10日)

今日はシベリア鉄道に乗る日なのだけど、出発は夜なので それまでモスクワ観光をして 早めの夕食をすませてホテルに戻ってきました。預けてあった荷物を受けとって ロビーでひたすら送迎の人を待つ。8時半に旅行会社から手配された タクシーの運転手のおっちゃんが来てくれて荷物をタクシーにつめこんでくれました。駅まで30分位かかったかなあ。道々 名所の説明もしてくれたりして。
さて、駅についてびっくり。人がたくさんいるううう。しかも大きな荷物をカートにのせていて、その荷物が巨大ダンボール数個だったりして。普通の旅行者とは感じが違う。そしてほぼ全員がアジア人。いったいどうなっているんでしょ。しかし うんちゃんは慣れたもので、慌てもせず私達のチケットを見て列車番号・車両番号・座席番号をばっちり暗記すると 荷物を持ってずんずん人ごみの中を進んでいく。

さて 税関らしき門のところで ロシア人の係官がアジア人を通せんぼしていた。で、ちょっともめていた。どうやら大荷物(あきらかに商品)がひっかかったらしい。だからあんなに アジア人が入り口でうろうろしていたのか。そして 係官は私達一行には目もくれなかった。送迎サービスがあって本当によかったです。そうでないと 何にも知らずにこの人ごみの中で 行儀よく並んでしまうところでした。

各車両の入り口には車掌さんが立っているので チケットをみせて中へ。このチケットは降りるまで 返されないらしい。うんちゃんは 荷物をコンパートメントまで運んでくれた。ありがたやー。重かったからね、荷物。なんせ1週間分の食料に各自ミネラルウオーター1.5リットルが3本づつ。

さて 列車の内部は イメージとちょっと違った。これは ウラジオストックまで行く“ロシア号”ではなくて“モンゴルエキスプレス”のせいかもしれない。なんかねえ、内装がシンプルでシベリア鉄道っていう気がしないんだよね。設備は ほぼガイドブックの通りでした。4人部屋は 下段に向かい合わせのベッド兼ソファー。その上にも 向かい合わせで上段ベッド(一応はしごもついている)。そして窓際に備え付けテーブルがひとつ。今回は 同室者がいないため3人で一室貸し切り状態なので すごく気楽。荷物をベッドの下に入れたり 上にあげたりして(廊下の天井部分に荷物スペースがある)、やっと一息つきました。

さて、落ち着いてみると もうすぐ発車時間というのにまわりは とっても静か。他にお客はいないのかと思ったほどでした。アジア人数組と西洋人の若いカップルが一組。このカップルは男性の方が 髪がもじゃもじゃでサッカー選手のラモスのよう。で、勝手にこのカップルを「ラモス夫妻」と命名。
22:03に列車は すうーっと動き出しました。あー、とうとう乗ったなあシベリア鉄道に。ヨーロッパとお別れで 日本に帰るんだなあと実感してきました。窓から景色をみながら 感慨にふけっておりました。それにしても ロシアの駅ってさびれている…。

もう、夜なのでその日はベッドメーキングをして寝る事にしたのだけれどどこから涌いてきたのかアジア人が多く乗りこんできていて 荷物を持ってうろうろしている。正確に言えば 入り口あたりに積み込んだ荷物を部屋に 運んでいるようなのだが何往復もして尚且つうるさい!私達は 寝たいんだよ。「何ナノさー」「落ち着こうよ」と ぶつぶつ挙動不審のアジア人に腹を立てながら  眠りについたのでした。 このとき 私達は彼らはグループで商品を買い付けにきた中国商人だと思っていた。

つづく


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